何も信じれない
「あなたのこと1番大切だと思ってるから」
「全部あなたのために言ってるのよ」
言葉だけなら何とでも言える。
言うだけなら簡単な事だから。
それが本心じゃなくても。
言ってる事とやってる事違う時はどうしたらいい?
大事に思ってるって言われてるのに、気持ちも無視されて雑に扱われてる時はどうしたらいいの?
言葉で必死にその本心を隠そうとしてんのバレバレだよ。表面ドロドロに溶けてるし。本心めっちゃ見えてるよ。
その嘘を何度も剥がそうとしてんの分かってるだろ?何をそんなに隠してんの?
隠そうとしてんのバレバレだって言ってんだよ。
あなただって、こっちのこと、都合のいいように使いたいだけなんだろ。
都合のいいように使われて、燃料切れたら捨てる。
何度もされてきたことだから分かるよ。
使い捨てなんだね。自分の存在なんて。
「いなくなったら困る」?
代わりが見つかってないから困るってだけだろ。
代わりが見つかったら捨てるくせに。
ここで死なれても後始末とか大変だからやめろって話でもあるだろ。
それか、見えない場所まで行かれたら管理できないからってことなのかな。
私の所有物なのに無くなったら困る、って。
あなたのためって何?
綺麗事言ってカッコつけてるようにしか聞こえんわ。
お前のためだろ。
お前が都合のいい時に使える相手がいなくなるのが不便だからでしょう。
なんも響かねえよ。それでこっちのことホッとさせようとか思ってんの?
嘘で固められた言葉の何がいいの?
邪魔なら邪魔って言えよ。消しさればいいだろ。
ストレートにその自分の不満を解消できないからって、その愚痴をぶつけて来やがんな。
グチグチ言ってるお前もアイツらと同じだよ。
私を見下してるからそういうことが出来るんだよ。
もう認めてよ。
お前の気持ちを認めてよ。
言ったこと貫き通せよ。
それが嘘でもやれよ。
嘘で通せよ。
その場その場でクルクル変えんなよ。
…言ったって無駄。
お前は聞かない。
聞いてくれなかった。
もう信じたくない。
お前のこともアイツらのことも信じられない。
全部嘘。
全部嘘だ。
こんな文章もお前らの前では嘘になる。
本当の自分なんて知るものなんていないんだよ。
知ったつもりになって集ってくるな。
知らねえのに共感なんてしてくるな。
なんも分かるわけない。
誰にも分からない。
分からなくていい。
もう何も知らないで。
もう何も分からないで。
寺子屋の先生
小中学生の時、寺子屋に通っていた。
どういう流れで通うことになったのか、ハッキリとは覚えていないが、たぶん友達に誘われたことが始まりだったと思う。
その寺子屋の先生は
自分が通っていた小学校の元教師で
定年退職後に寺子屋を開いた人だった。
当時、学校の成績表は中の中ぐらいだったけど、勉強に対しては真面目に取り組むタイプの生徒だった自分。
寺子屋では毎回、先生と一緒に、今後授業でやる箇所を予習していた。
基本的には先生1人に対して、生徒が1人か2人ぐらい、多い日でも5人くらいだった。
予習と一緒に、市販の国語のドリルを、約2ページずつ解き進めていた。自分はやる気があったので、ノルマの2ページ分が終わってもバリバリ進めていた。
進めすぎて、小学3年生の時に4年生のドリルが解き終わりそうになっていた。
·····いや、4年生のも終わって5年生のドリルを解き始めていたっけ。ドリルだけ飛び級していたな。
勉強が終わったらみんなで遊んでいた。時には先生も一緒になって、鬼ごっことか、周辺を散歩したりとか。
室内でもトランプで遊んだり、なぜかカラオケの機械があったのでカラオケで歌ったりもした。
今みたいなタッチパネル式ではなく、本から番号を調べて入力するタイプのカラオケだった。だいぶ古くて、知ってる曲はほとんどなかった。
先生には心配をかけたりして、何度か説教されることもあった。
また、自分は問題で分からないところがあると、静かに悔し涙を流す事が多かったのだが、その度に先生を困惑させていたような。。
それでも先生は基本的に陽気。厳しい時には厳しくしていたけど、とにかく明るかった。
寺子屋には、小学生から中学卒業間際まで、およそ9年近く通い続けた。
その後、自分の知らないところで、自分の近況を親が先生に報告しているのは知っていたが、会ったのは高校入学前が最後だった。
それから何年も経って、最近ふと、
「寺子屋の先生はどうしているのだろうか」
と思った。本当につい数日前の事だった。
自分が初めて会った段階で、既に定年退職後だったわけだから、相当高齢にはなってるはず。
「元気でいるのだろうか?寺子屋に会いに行ったりしてみたいな。そもそも寺子屋も、まだやってるのかな。どうなっているんだろうな。」
久々に会ってみたいかも、と思った。
自分は基本的に、一度別れを告げた相手と再度会うことはないと思っているし、
もう一度会いたいかと聞かれてもスグに「はい」とは答えられないような、ちょっと冷めた感覚でいるので、会いたいなんて少しでも思うのは奇跡に等しい。
歳はもちろんとってるだろうけど、そんなに変わりないんじゃなかろうか、と思った。
もう少しご時世が落ち着いてくれたらなあ、なんて思いながら、全く関係のないことを考え始めてしまったので、会いたいなんて思ってたこと自体すっかり忘れていた。
それから数日経って、今日。
親から「アレ言ったっけ?」という軽い感じのノリで、あることが告げられた。
「寺子屋の先生、完全にボケてるよ」
ボケてる?あんなに元気な先生が?
なんでだか、すぐには理解できなかった。
まあ、歳だから多少なりともボケてきちゃうのは仕方の無いことだろう、と思った。良いほうに考えた。
しかし、詳しく聞いてみると
「寺子屋の存在自体は覚えているが、過去に接してきた人達の事は ほとんど忘れている」
ということが分かった。
そしてさらに親から告げられた衝撃の一言。
「先生は、もうあなたの事も覚えてない」
なぜだろう、なんで忘れられることがこんなに悲しいのだろう。
自分は昔から影が薄くて、同級生からも忘れられることが多かったから、忘れられちゃうことには慣れてる。
でも、今回は影が薄くて忘れられたんじゃない。それとはちがう忘れられ方。
先生は、認知症になってしまったのだ。
親が私の名前を言って覚えてるかどうか聞いても、「ごめんなさい、分からないの…」と言っていたそうだ。
私以外の人の事もほとんど忘れていて、一番覚えてるのは、寺子屋の存在。現在はご時世的な影響で開かれてない可能性があるが、それもよくわからない。先生本人も、寺子屋が開かれてるのかどうか、知らないらしい。
認知症というと、自分のイメージとしては、
怒りっぽくなったり、無表情になったりすることが多くなりそうな気がしていたが
先生はあの頃と変わらず、いつでも明るく元気な状態でいるそうだ。
あの頃と変わらない状態で、記憶だけが失われた。
元気でいるならよかった。そこは安心した。
でも、自分は一通り先生の近況を親から聞き終え、ひとりになったあと、涙が出てきてしまった。
認知症は進行を遅らせることは出来ても、完治は難しく、一度壊れてしまった脳の細胞を元通りにすることも出来ないらしい。
私のことを思い出すことも無い、ということか。
おそらく、私に関する最後の近況報告がされた時は、私が社会人になって就職した時だ。
それから半年も経たないうちに仕事を辞めたことは、知ってたのだろうか。
就職して、そのまま働き続けてると信じたまま、記憶を失っていったのだろうか。
私がいま何をしているのか、何に苦しんでいるのかなんて、いま久々に私の口から話しても、
私のことは思い出されないまま、他人の話として聞くだけなのだろう。
それ以上に何かを聞かれることも無い。
なぜ。
こんなに長いこと話してなかったのに。
なんで今更、話したいこと、聞きたいことが沢山浮かんできてしまうのか。
先生との思い出ばかりだけでなく、寺子屋での思い出もたくさんある。寺子屋があったから、友達とも更に仲良くなれたし、行ってなければ出来なかったような体験もたくさんした。
もしいま、一人で先生の元へ会いに行ったら、自分は現実を受け止めきれず、
自分のことを「他人」だと思っている先生の目の前で、泣き崩れてしまうかもしれない。
出来れば友達に知らせたい。友達と一緒に会いに行きたい。先生が元気でいるうちに。
でも友達とは音信不通で行方も分からない。
現状も何もかも伝えることすら出来ない。
もうあの頃とは違う。
何もかも変わってしまう。
それが時の流れ。
止まることの無い時の流れ
何事にも終わりが来てしまう。
全てのものはいつか消えてしまう。
それは物に限らず記憶も同じで。
「ずっと忘れない」なんて、その時には言えても、
絶対にそうとは言いきれない。
先生は私のことを忘れてしまった。
私は先生のことを
いつまで忘れずにいられるのだろうか。
私は他の人達に
いつまで覚えていてもらえるのだろうか。
毎週のように行っていた場所
予定があって、久々に横浜駅へ。
横浜駅周辺は学生の時、毎週のように遊びに行っていた。思い出の場所もいくつかある。
たくさんあるけど、とりあえず3つ。
東急ハンズ 横浜店
私の青春に欠かせない存在。
ここで買っていたのは文房具やお絵描きの道具。
中学の三年間、美術部に所属していた私は、
主にここでスケッチブックやシャーペン「クルトガ」などを買っていた。
絵を描きながら「クルトガ」を分解して壊してしまうクセがあったので、度々買い直してた記憶がなんとなくある。
私がこの東急ハンズを利用していた頻度は「横浜モアーズ」へ移転する前のほうが多かった。
調べてみたら東急ハンズ横浜店が横浜モアーズに移転したのは2013年。もう9年前の話。そんなに経ってたなんて。
でも、行きまくってた事は覚えてるのに、建物の形とか大きさとかだいぶ忘れかけてる。
それだけ時間が経過してるという事だし、その分、私も歳をとってるんだよなと思った。
もう若くないのかな·····と若干憂鬱になりながら、移転前の東急ハンズをググってみたら、1A、1B、2A、2B·····と、独特なフロア分けを示す案内板の画像を見つけて
「ああ!これだよこれ!」
と懐かしくなってテンションあがった。ちゃんと覚えてるところは覚えてました。まだ若いみたいで良かったです。
レコファン 横浜西口ダイエー店
今では入手が難しいかもしれないCD、映像作品、レコードなどの中古商品がたくさん置かれていた。
当時レンタルショップで、何となく椎名林檎のアルバムが目に入ったのでレンタルしたところ、
「幼少期から惹かれていたいくつかの楽曲が、椎名林檎の楽曲だった」という事実に気づき、椎名林檎や東京事変の全楽曲を聞き漁っていた。
そんな中、立ち寄ったレコファンで見つけた椎名林檎のシングル盤。
幸福論、ギブス、罪と罰、本能···。どれもおそらく、現在では入手が難しいであろうもの。
そこの棚の前に、ジッと立ち続けていた。
「お小遣いで買おうと思えば買える。でも自分が椎名林檎好きだということが店員さんにバレたくない····」
という自意識過剰と葛藤した末に、それぞれ一枚ずつ購入した。ドキドキした。全てが宝物になった。
それ以降、毎週レコファンに行っては、椎名林檎・東京事変の棚に向かった。
今現在 入手が難しそうだなと思ったものは購入したり、ひたすら見つめ続けて数時間過ごしている時もあったと思う。邪魔に思われてた可能性も有り得る·····。
音楽だけでなく、お笑い関連のDVDもここでいくつか購入した。「大爆笑!!サンミュージックGETライブ」のDVDがあって感動した。レコファンは、当時の自分にとって宝探しの場所だった。
久々に行ってみようかと思って調べてみたら、レコファン横浜西口ダイエー店は、2019年に閉店していた。
しかもダイエーごと閉店していて、来年には跡地にイオンモールが出来るらしい。
自分が横浜駅から離れてる間に、色んなものが大きく変わってしまった。
変化に付いていけない。でも、この世で変わらないものなんて無いから、仕方ない。
ブックオフ 横浜ビブレ店
ここに限らず、用事が済んで行く場所が無くなった時、大抵ブックオフに立ち寄っていた。何時間でもいられた。
見るジャンルは大体決まっていた。サブカル、芸能人関連、あと占い。
当時ほかのブックオフで、せきしろ×又吉直樹「カキフライが無いなら来なかった」を発見した際、
その場で買うか買わないか3時間近く迷った末、汗だくになりながらレジへ持っていき購入した思い出もある。
又吉に心奪われ過ぎていた頃だったので「又吉の事が好きだって、他の誰にもバレたくない·····!」という自意識過剰と葛藤する日々を送り続けていたら、そんな思い出が出来てしまった。
横浜ビブレのブックオフで購入したもので、一番覚えているのが「ふたりエッチ」の1巻と2巻。
本当は全巻買いしたかったけど、確実に親に見つかってしまうので、2冊で我慢した。
親に見つかるのは避けたかったが、店員さんに見られる分にはあまり恥ずかしく思わなかった記憶がある。
当時は、えっちぃ本を買う時の恥ずかしさは無かったけど、それ以外のジャンルはなぜか恥ずかしくて、えっちぃ本で他の本をサンドイッチしてレジに持っていったりもしてたな·····懐かしい。
変わりゆくものが多い中、ここのブックオフは今でもあるみたい。よかった。
他にも思い出の場所はたくさんあるし、久々に横浜駅へ行くんだからと、それぞれの場所を巡るつもりでいた。
·····が。
予定ギリギリまで寝てしまった。
全く巡る余裕は無く。
久々に横浜駅へ来てみたら、駅の目の前あたりも色々と変わっていて、違う道を行っちゃいそうにもなった。
あれだけ横浜駅でやってた工事、もう終わったようにも見えたけど·····実際どうなのかよく分からない。調べてみても「完成?」って出てきて、なんか怪しい。
今回、横浜駅に来た目的はひとつだけ。
横浜実験寄席
Nakedloft横浜で、月イチのペースで行われているライブ。
以前からライブ自体やってるのは知っていたけど、観に行きたいと思っていながら予定が合わず。今回やっと観に行けたので良かった。
よだれどり、パーマ大佐、メガネロック大屋、鬼塚ムソウ、ぶたマンモス 、各組の本ネタと実験ネタが観れるライブ。
今回は鬼塚さんがお休みで、徳原旅行さんと、アーティストの三崎れもんさんがゲストだった。
実験ネタ、普段その芸人さんがやらないようなネタばかりで、新鮮みがあって面白かったな。三崎れもんさんは、歌声も演奏も透き通ってるようで素敵だった。
劇場で普通に観るのも楽しいけど、ご飯食べたりお酒飲んだりしながら観るのも楽しいなって思えるようになった。
だいぶ前にも、そういうライブハウス的な場所でライブを何度か見た事があったけど、
周りほとんど大人の方々で、そんな中自分は成人にも達してなかった。
お酒飲んだりしながら観てる人の姿が、めっちゃ大人っぽくていいなって思ってた。
でも自分は成人超えても、そういう大人っぽいカッコ良さみたいなものが全然滲んで来ない。
いつかカッコ良さ出てくるのかな·····出てきそうにないな。もう、楽しければいいや。
次に横浜駅へ行く時は、思い出の場所を巡りたい。
まず生活リズムをある程度整えられたらいいのだけど。
この文章も、夜に一睡もしないまま朝迎えて書いちゃってるし。
作文を書く夢を見て色々考えてしまった
ただ作文を書くだけの夢なら良かったのだが、
複雑な気持ちになった。
夢の中で私は中学生になっていた。
きっと、この夢を私に見せてきた奴は
「お前なんて、
可もなく不可もなく、どちらかと言うと不可寄りの、
なーーんの特徴もねえ
汚ねぇ空気みたいな存在だったよな!!」
って、笑ってるに違いない。簡単に想像つくよ。
見せてきた奴って、自分自身なんだけどね。
自分の中にある人格が怖い。
夢の具体的な内容
中学生の私は、国語の授業で作文を書いていた。
担当の先生が英語の先生だった。国語の先生は休みで、自習の日だったのかもしれない。
作文のテーマは
「生きる上で大切にしていること」
(こんな重いテーマの作文、実際は書いたことない)
私はテーマが発表されてすぐに、書きたい内容が思い浮かんでいたので、
鉛筆を握りしめて書こうとした。
…が、しかし。
他の人の作文用紙は真っ白だったのに対して、
私の作文用紙には、見知らぬ人の顔写真がたくさん印刷されていた。
余白もあるのだけど、全く作文を書けるような状態ではなかった。
先生が紙を変えてくれないので、皆が静かに集中して作文を書いている中、
私は消しゴムを使って、印刷されてる顔写真を必死に消そうとした。
…現実的に考えたら無理なことだけど、これは夢。
消しカスがどんどん湧き出てくる中で、印刷されてる顔写真はジワジワと薄くなっていった。
自分が必死に消しゴムを動かしている中、
周りはそんなの一切気にすることなく、作文を書き続けていた。中には書き終わって、先生から採点してもらっている生徒もいた。
なんで英語の先生が採点してるの?自習の時のこういうやつって、ちゃんと国語の先生が後日採点するんじゃないの?という疑問は持たなかった。夢の中だから。
鉛筆で塗りたくってから消すと、より一層消えやすくなる、という非現実的な裏ワザも発見した。
残り時間が5分か10分くらいしか無くなってきた中で、ようやく顔写真が綺麗に消えた。
よし!作文書いてやる!!
でも、夢の中は思い通りにいかない時もある。
さっきの裏ワザのせいで、鉛筆の芯が無くなっていた。
芯が無いなら削ればいいだろ、と思うが、鉛筆削りが見当たらない。
…仕方ない。このまま書くか。
鉛筆の芯がない状態は、地獄の書き心地。
ガサガサと木の部分が紙に擦れ続けるので、ストレスしかなかった。
そんな状態で文字は、奇跡的に最初だけハッキリと書けていた。
私は今を大切にして生きていきたいです。今というこの瞬間を大事にしたいです。
その後は掠れて、ちゃんと書けなくなってしまったけど、それでも時間が無いので書き続けた。
私の祖父も、祖母も、亡くなってしまいました。もう会うことも話すことも出来ません。何事も、生きている間にしか出来ないのです。死んだら終わりです。
あれ…?
ここまで作文を書いて、ふと思い出す。
祖父って、もう亡くなったんだっけ?
曖昧な記憶。
これは夢ならでは、でもあるが、
現実の自分もこの部分は曖昧だった。
ここで書いてる祖父母というのは、父方の祖父母。
今となっては、血が繋がってるだけでほぼ絶縁状態にある父と自分。
もはや、父という漢字を書くことも、見ることもしんどいレベル。
祖母は中学生の時に亡くなった。これは覚えてる。
祖父は?
…覚えてない。知らない。
連絡も取ったことがない仲だ。知るわけない。
きっともう会えないと思う。
自分が父親と仲直りするまではね。
でも、そんな日も、来ないだろうから。
書き進められない作文。
完全に手が止まった。
周りのほとんどの人は、作文の採点が終わってる。
英語の先生が、前から二列目の席に座ってた私に近づいてきた。
途中でも採点してくれるのか?
そう思っていると、
チャイムが鳴った
先生が私を目の前にしながらみんなに向かって言った。
「さあ、作文の優秀な人を呼ぶのでここに来てください、○○くん、△△さん、★★さん…」
そこに私の名前は無かった。
あるわけない。
だって私は
可もなく不可もなく、
どちらかと言うと不可寄りの、
なーーんの特徴もねえ汚ねぇ空気みたいな存在 だからね!!
自分で言ってて悲しい。
先生には、私の事見えてないみたい。
呼ばれた人達が、私を円の中心にして先生の元へ集まった。ふざけんなよと思った。
みんなにも、私の事見えてないみたい。
先生がそいつらに向かって何か話してる。
聞こえないふりをして、
作文を無理やり書き進める私。
気まずい…ふざけんな…気まずい………
そこで目が覚めた。
朝4時56分だった。
最悪の目覚め。
目覚めても思い出せない祖父のこと。
他の父方の親戚についても、思い出そうとすると頭が痛くなる。ノイズ混じりな映像になってしまう。
それだけ記憶が薄れてしまうほど、父と会ってないということか。
自分も、父について、そんなに大切に想っていないのだろう。想っていたら、もう少し他のこと覚えてるだろうし、そもそも絶縁状態にもならないし。
あと、もうひとつ思ったのが、作文の内容。
今を大切に生きるって、今の自分も出来てるのだろうか、と。
今を大切に生きるってなんだ?
今しか出来ないことをするということ?
今の自分は、他人から見れば、ほぼ遊んでばかりの状態。
仕事で精神がボロボロになったので、働いてない状態にある。
今しか出来ないことをやってる気はしない。
大切にできてる気がしない。
時間を無駄にしてるのではないか………
考えれば考えるほどに心が苦しくなっていく。
でもそれは結局、周りを気にしすぎているから苦しくなってるんだと思う。
周りは、自分のことなんて、そんなに見てないって分かってるはずなのに。
私は中学生の時と同じように、周りを気にし続けている。
すれ違うたびに避けられて、嫌がらせを受けて、
何かで表彰されたり、名前を呼ばれたりする度に、周りがクスクスしていた。
空気のように扱われていたけど、完全な空気ではなかった。
相手方にとって"面白いこと"をする時だけは、触れられたり物をぶつけられたりしたから。
でも過去ばかり考えてるわけじゃない。
普段はもう、そんなこと考える余地なんて無くなってるから。
いま、すごく立ち止まってる感じもするけど、全く進んで無いわけじゃないんだろうな…何もしてないという訳では無いから。
ずっとやりたかった事が始められた。少しずつだけど、誰かの力になれていると思う。
応援したい人を全力で応援出来る幸せ。いつでも貴方は、今が一番輝いてる。その瞬間を逃さずに応援できるなんて、幸せしかない。
ずっと「やりたい事なんていつでもできる」と、自分に思い込ませてた。
実際そうやって周りの大人に言われてた。
「君のやりたいことは、いつだってできる事だ」って。
それで他のルートをすすめられて、言われるがままにしてしまった。やりたい事は、段々遠ざかって、想いも冷めていった。
周りを気にして、
後回しにして、
見て見ぬふりをして、
周りが簡単に肯定してくれそうな やりたくない事ばかり選んで、
ずっと何してるんだろうって思ってたけど。
やりたい事は、すぐやった方が良かったかもしれない。
そうしたら、もう少し人生変わってたんだろうな。
大人の言うことなんて、半分くらいは無視しても良かった。
真面目だからそれを全部聞いて言う通りにしてた。
自分で自分の進路決めてえらいね、
やりたい事があってすごいね、
なんて言われてたけど、全部、周りを気にして嘘で固めてたようなものだった。適当な奴になりたかった。言う事聞かずに、本当にやりたい事をすぐにやってれば……。
…でもそうすると、いま自分が応援してる人にも、出会えてなかった可能性が高い。
そうしたら、私も生きてなかった可能性さえある。
やりたい事をやり始めるまでに遠回りしたおかげで、出会えた人達もたくさんいる。
決して楽しいとは言いきれない遠回りの道だったけど、いろんなものや人に助けられて、出会えたから、幸せだと思ってる。これもまたひとつの人生か。
……。
夢の話どこいった。
今朝見た夢の話なんてどうでも良くなってきた。
もう目覚めてから2時間ぐらい経ってるし。
これからも絶縁状態は続けるし、 やりたい事やって今まで遊べなかった分遊んでいきたいと思う。
好き勝手に生きる練習をしている所なので、
好き勝手にさせといてくれ。
4月1日
新しそうなスーツを着ている人たちを見ると、
自分が新社会人だった時のことを思い出す。
自分が社会人になった日は、
今日と同じ、4月1日だった。
希望と夢で胸がいっぱい!
…なんてことは無く。
初日から後悔で始まっていた。
なんでこの仕事を選んだのだろうか、と。
周りを気にしすぎた
就活中は、やりたい事ばかりあった。
この世にあるものが全て輝いて見えていた。
とりあえず、魅力的な仕事が見つかれば求人票を印刷しまくった。
最初は、芸能関係か、お笑いライブに携わる仕事をしたいと思っていたので、マネージャーの求人や、ライブ関連の求人は特に大事に見ていた。
でも、同時に学校の先生たちの目を気にしていた。
そんなの気にせず好きなことをしてたら良かったのかもしれないけど。
先生たちに、芸能関係やライブ関連の求人を見せて相談したら、驚かれた。肯定する意見は無かった。
雰囲気的には、お前には向いてないって言われてるような感じだった。直接そうは言わないけど、いい反応ではなかった。
魅力的だと思える求人を探せなくなった。
私が1番やりたくなかったのは、パソコンに向かい続けて仕事をすること。事務職は避けたいと思っていた。
大きなビルの中にある会社で、カタカタとパソコンを打ってるようなイメージがあったのだが、それが自分に合う気がしなかった。
でも、私が「事務の仕事をしたい」と言ったら、先生たちが肯定してくれたので、私は自分の気持ちを隠し続けて、結局は事務職をすることになった。
周りの目を気にしすぎた。そして、自分の好きな事に、自信が持てなかった。貫き通す強さがなかった。
心身に馴染まない社会人生活
そして卒業後から4月1日の入社日になるまで、
私はひたすら鬱々としていた。
この時点で、事務職を選んだ事を後悔していた。
でも、始まってもないものを辞めるわけにもいかず、重たい気分のまま、入社式へ向かった。
初日は新入社員としての手続きで終わったので、
まだ業務らしい業務は始まっていなかった。
それなのに、すごく嫌な予感がした。
漂う雰囲気が、緊張感で満たされてる時に感じるそれじゃなくて、
重たくて、暗くて、心を喰われそうな、
危険な予感だった。
会社見学の時点では気づかなかった違和感。
どこの会社だってこんな感じだろう、と思っていた。新卒の状態である私には、比較対象もなかった。
違和感は会社に対するものだけではなかった。
自分がなぜ、こんな場所で働いてるのか、理解できなかった。
自分で会社を選んでおきながら、新生活の何もかもが合わなかった。毎日やってる事なのに、馴染むこともなかった。
・22時就寝、4時半起床
・毎日のメイク
・満員電車での通勤
・往復3時間強の通勤時間
・パソコンの音だけ鳴り響くオフィス
・残業
…。
全部がストレスだった。
でもこれを耐えなきゃ普通の社会人になれない、社会不適合者になってしまう、と思っていたので、耐え続けていた。
そして夏を迎えた頃に壊れてしまった。
職を転々として分かったこと
それから職を転々として、正社員ではなくアルバイトとして色々とやってみた。
そこで分かったことが いくつかある。
・決まった時間に働くのがしんどい
まず「週5ぐらいで同じ場所に行って、8時間かそれ以上に働く」ということが、私にとっては耐えられない環境っぽい。具体的に何故なのかはよく分からない。
でも何となく、人生を損してる感じがする。
同じような日を繰り返すというのが鬱々としてくる。さらに、長時間勤務だとミスを多発してしまう。世間的にたぶんあたり前であろうことが、私には出来ない。飽きっぽさがあるのかもしれない。変化や刺激がないと続けられない。
・毎日同じ人と顔を合わせる
これも強いストレスだった。
なんでか分からないけど、私はどんな相手とも、顔を合わせる日数が増えれば増えるほど、緊張して苦しくなってしまう。
初対面のときの方がリラックスして話せていたんじゃないのか、と思うくらい、ガチガチに緊張してしまう。
それがプライベートの中であれば、まず週5も顔を合わせる人がいないので平気なのだが、仕事になると毎日会うことになるので、苦しすぎてもう行きたくなくなってしまう。
・パソコン恐怖症
基本的な操作や入力は出来るので、問題ないように見られてしまうが、
どれだけ業務に集中しようとしても、パソコンのカタカタ音がうるさくて気が散る。
自分のだけでなく、周りのカタカタ音、そしてコピー機の動く音などが重なり合ってしまうと、もう最悪だ。気が狂いそうになって、鬱々としてくる。
私が描いていた社会人のイメージに、私は合わすことが出来そうにない。
好きな事を仕事にするのが一番?
今は、前職で心が病んでしまったので無職だが、
月1回だけ仕事をしている。
それは、私が就活時にも探していた、ライブ関連の仕事。
初めてのことだらけで大変さはあるが、これが想像以上に楽しい。
始める前まで、ずっと怖かった。
好きな事を仕事にしたら、好きな事が嫌いになってしまうのではないかと。
そうなったら、私の生きる気力も何もかも無くなってしまう気がした。
仕事を転々としている中で、いろんな現実を知る度に、世の中に対するワクワク感や、夢、希望、みたいなものが、自分の中からどんどん失われていった。
それと同じように、好きな事に携わるような仕事をしてしまったら、
失望して、嫌いになって、なにも好きになれなくなってしまいそうで、踏み出せずにいた。
でも、この一年で考えが変わっていった。
その好きな世界に一歩踏み出したくなった。
その世界が無ければ、自分はもう生きてなかったかもしれないから。
恩返しになるか分からないけど、少しでも役に立ちたい、力になりたいと思うようになった。
そして思い切って踏み出してみた。
ずっと好きだった世界に。
好きな事を嫌いになるどころか、もっと好きになった。
今までしてきた仕事の中で、これが1番楽しいと思っている。
最初から、周りのことなんて気にせずに、好きな事を仕事にしていたら良かったかもしれない。
好きな事って、こんなに頑張れるのか…と驚いてる。
ただ、これが、決まった時間に毎日…となると、違ってきてしまうかもしれない。
月1回程度でやっているからこそ、楽しめてるのかもしれないが…分からない。そもそもこの仕事は、毎日あるものとは限らないのだが。
好きな事は好きでいたいから、いい距離感を保っていたいとは思う。
新社会人のスーツ姿がまぶしい。
自分はどんどん、追い抜かされていくのかもしれない。
あのまま社会に適合できていたら、今頃はどうなっていたのだろうか…なんて、時々考えるけど、それぞれの人生だから、比べたって何もならないよね。
私はこれから、
好きなように生きていきたい。
どうか、
私のように耐えて壊れてしまう新社会人が、
増えませんように。
他人の好きなものを馬鹿にしない
他人の好きなものに対して、見下して馬鹿にする人間が苦手。得意な人なんているのだろうか。
最近不定期に仕事をしている。
短時間ではあるが、集中力などを要するので大変さはあって、でも楽しくできている。
その仕事をしたことが無い人に、
こんなことを言われた。
「お前と俺とは、働いてる時間の長さが違う」
小馬鹿にした言い方だった。
私はその人のやってる仕事をしたことが無いけど、一度も馬鹿にしたり、見下したりしたことはない。なんでそんなことを言われなければいけないのか分からなかった。
仕事は時間が長ければ長いほど偉い、とでも言いたそうだった。
そんなはずないのに。
世の中、色んな仕事がある。大変なこと、楽しい瞬間、抱えてる心境なども、それぞれで違ってくるだろうけど、それぞれで頑張って働いてることには変わりないと思う。
長時間勤務は体力的にもしんどくなる。どこを基準にして長時間勤務というのか分からないけど、8時間を超える勤務は自分も経験してるから、大変さは分かる。
でも、短時間勤務だからって楽って決めつけられるのは違うのではないか。
短時間でも、全神経を集中させて緊張状態で作業をする必要があるので、仕事を終えた後は体力の消耗を感じている。
自分のことは、社会に適応しづらい存在だと思ってるけど、それでも自分なりに、人のために少しでも役に立ちたいと思って頑張っているつもりだ。
仕事の内容を全て知ってる訳でもないのに、やったこともないのに、
他人が楽しく頑張ってやってる仕事を「短時間だから」という理由で
「大変ではない」と決めつけて見下してほしくない。
せめて同じことやってみてから言ってくれ。
少し話ズレるかもしれないけど、私はパクチーが苦手だ。でもパクチーが好きな人だっている。
私はパクチーを食べれる人がいても馬鹿にしないし、目の前でパクチーを食べてる人がいたって何も思わないし、何も言わない。相手が好きなものを食べてるので、自分も好きなものを食べる。
私は幼少の頃に、好きな食べ物を食べようとして嫌な反応をされたことがあった。
自分が大好物を食べてる目の前で、
父親が明らかに気持ち悪がってるような表情をしてきて、嫌な反応をしてきたことを、今でも薄ぼんやりと覚えてる。
薄ぼんやりでも嫌な事として、記憶に染み付いてる。
最近では私の「推し活」についても馬鹿にされた。馬鹿にしてきたのは私の仕事について見下してきた人と同じ人だったけど。
私は好きなように好きなもの観たりやったりしてるから、お前も自分の好きな事に集中してろよ。
なんで他人の人生の楽しみまで邪魔しようとしてくるのか。
他人の好きなものを馬鹿にする、という行為自体が「好きなこと」なんだったらどうしようも無いけど。
興味無いなら興味無いで何も言わなければいいだけ。
相手がそれを好きであることを否定するような事は言ってはならない。
自分だってされたら嫌だろう。
目の前にいる人を大事にする
なるべく、「いま目の前にいる人」を大事にしたいと思って過ごしている。
いま、目の前にいてくれる人との接し方を雑にしてしまい、
その時大事に思ってた人のことばかりを話したり考えたりしてしまったことがあった。
それで友達との関係が切れていったことがあって、
元々性格が合わなかったのかもしれないけれど、
だとしても良くないことをしてしまったなと思った。
その目の前の人のことを「どうでもいい存在」だと言ってるようなものだったから、
それ以降、いま目の前にいてくれてる人の事を大事にしようと思い、言動に気をつけるようになった。
…つい暴走して、自分のことばかり話してしまうこともあるけど、少しずつ、それも修正していってるつもりだ。
なんでこんなことを書いてるかというと、
「どうでもいい存在」として扱われる側になり、
心底傷ついているから。
傷ついていると言うよりも諦めの方が強い。
「私はあの人の言葉しか聞き入れないし、
あの人のことしか信じていない。
それ以外の周りにいる人や言葉なんてどうでもいい。お前もどうでもいい存在だ」
本当にそうやって言われた訳ではないけど、
その人の言っていることをまとめたら、そんな内容だった。
そんなこと言ってない、と本人は否定するかもしれないが、いま盲目状態なのだろうなというのが手に取るように分かる。自分もそうなっていた時期があったから。
もう、何を言っても無駄だと思った。
こうやって繋がりは消えていくのか。
緩い繋がりとはいえ、楽しい時間も過ごした。
大事にしたい関係性だと思っていた。
でも、いまはもう自分などどうでもいいらしい。
かなしいものだな。
こんなに簡単に崩れ去るなんて。
でも、その程度の関係だったということだ。
終わったものを、離れたものを、
もう一度繋げようなんて思わない。
何かしらの縁があれば、また出会うだろうけど。
一度離れたものは、
強引に繋げるべきものではない。
尽くし過ぎは我が身を滅ぼすから。