闇堕ちした黒猫

暗かったり重かったり明るかったり

寺子屋の先生


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小中学生の時、寺子屋に通っていた。

どういう流れで通うことになったのか、ハッキリとは覚えていないが、たぶん友達に誘われたことが始まりだったと思う。

 

 

その寺子屋の先生は

自分が通っていた小学校の元教師で

定年退職後に寺子屋を開いた人だった。

 

当時、学校の成績表は中の中ぐらいだったけど、勉強に対しては真面目に取り組むタイプの生徒だった自分。

 

寺子屋では毎回、先生と一緒に、今後授業でやる箇所を予習していた。

基本的には先生1人に対して、生徒が1人か2人ぐらい、多い日でも5人くらいだった。

 

予習と一緒に、市販の国語のドリルを、約2ページずつ解き進めていた。自分はやる気があったので、ノルマの2ページ分が終わってもバリバリ進めていた。

進めすぎて、小学3年生の時に4年生のドリルが解き終わりそうになっていた。

·····いや、4年生のも終わって5年生のドリルを解き始めていたっけ。ドリルだけ飛び級していたな。

 

勉強が終わったらみんなで遊んでいた。時には先生も一緒になって、鬼ごっことか、周辺を散歩したりとか。

室内でもトランプで遊んだり、なぜかカラオケの機械があったのでカラオケで歌ったりもした。

今みたいなタッチパネル式ではなく、本から番号を調べて入力するタイプのカラオケだった。だいぶ古くて、知ってる曲はほとんどなかった。

 

先生には心配をかけたりして、何度か説教されることもあった。

また、自分は問題で分からないところがあると、静かに悔し涙を流す事が多かったのだが、その度に先生を困惑させていたような。。

 

それでも先生は基本的に陽気。厳しい時には厳しくしていたけど、とにかく明るかった。

 

寺子屋には、小学生から中学卒業間際まで、およそ9年近く通い続けた。

その後、自分の知らないところで、自分の近況を親が先生に報告しているのは知っていたが、会ったのは高校入学前が最後だった。

 

 

 

 

 

それから何年も経って、最近ふと、

寺子屋の先生はどうしているのだろうか」

と思った。本当につい数日前の事だった。 

 

 

 

自分が初めて会った段階で、既に定年退職後だったわけだから、相当高齢にはなってるはず。

 

「元気でいるのだろうか?寺子屋に会いに行ったりしてみたいな。そもそも寺子屋も、まだやってるのかな。どうなっているんだろうな。」

 

久々に会ってみたいかも、と思った。 

 

自分は基本的に、一度別れを告げた相手と再度会うことはないと思っているし、

もう一度会いたいかと聞かれてもスグに「はい」とは答えられないような、ちょっと冷めた感覚でいるので、会いたいなんて少しでも思うのは奇跡に等しい。

 

歳はもちろんとってるだろうけど、そんなに変わりないんじゃなかろうか、と思った。

 

もう少しご時世が落ち着いてくれたらなあ、なんて思いながら、全く関係のないことを考え始めてしまったので、会いたいなんて思ってたこと自体すっかり忘れていた。

 

 

 

 

 

 

それから数日経って、今日。

 

親から「アレ言ったっけ?」という軽い感じのノリで、あることが告げられた。

 

 

 

寺子屋の先生、完全にボケてるよ」

 

 

 

ボケてる?あんなに元気な先生が?

なんでだか、すぐには理解できなかった。

まあ、歳だから多少なりともボケてきちゃうのは仕方の無いことだろう、と思った。良いほうに考えた。

 

 

しかし、詳しく聞いてみると

寺子屋の存在自体は覚えているが、過去に接してきた人達の事は ほとんど忘れている」

ということが分かった。

 

 

そしてさらに親から告げられた衝撃の一言。

「先生は、もうあなたの事も覚えてない」

 

 

 

 

なぜだろう、なんで忘れられることがこんなに悲しいのだろう。

 

 

自分は昔から影が薄くて、同級生からも忘れられることが多かったから、忘れられちゃうことには慣れてる。

でも、今回は影が薄くて忘れられたんじゃない。それとはちがう忘れられ方。 

 

 

 

先生は、認知症になってしまったのだ。

 

 

 

親が私の名前を言って覚えてるかどうか聞いても、「ごめんなさい、分からないの…」と言っていたそうだ。

 

 

私以外の人の事もほとんど忘れていて、一番覚えてるのは、寺子屋の存在。現在はご時世的な影響で開かれてない可能性があるが、それもよくわからない。先生本人も、寺子屋が開かれてるのかどうか、知らないらしい。

 

認知症というと、自分のイメージとしては、

怒りっぽくなったり、無表情になったりすることが多くなりそうな気がしていたが

先生はあの頃と変わらず、いつでも明るく元気な状態でいるそうだ。

あの頃と変わらない状態で、記憶だけが失われた。

 

 

 

 

元気でいるならよかった。そこは安心した。

 

でも、自分は一通り先生の近況を親から聞き終え、ひとりになったあと、涙が出てきてしまった。

 

認知症は進行を遅らせることは出来ても、完治は難しく、一度壊れてしまった脳の細胞を元通りにすることも出来ないらしい。

 

私のことを思い出すことも無い、ということか。

 

 

 

おそらく、私に関する最後の近況報告がされた時は、私が社会人になって就職した時だ。

 

それから半年も経たないうちに仕事を辞めたことは、知ってたのだろうか。

 

就職して、そのまま働き続けてると信じたまま、記憶を失っていったのだろうか。

 

私がいま何をしているのか、何に苦しんでいるのかなんて、いま久々に私の口から話しても、

私のことは思い出されないまま、他人の話として聞くだけなのだろう。

 

それ以上に何かを聞かれることも無い。

 

 

 

 

なぜ。

こんなに長いこと話してなかったのに。

なんで今更、話したいこと、聞きたいことが沢山浮かんできてしまうのか。

 

 

先生との思い出ばかりだけでなく、寺子屋での思い出もたくさんある。寺子屋があったから、友達とも更に仲良くなれたし、行ってなければ出来なかったような体験もたくさんした。

 

もしいま、一人で先生の元へ会いに行ったら、自分は現実を受け止めきれず、

自分のことを「他人」だと思っている先生の目の前で、泣き崩れてしまうかもしれない。

 

出来れば友達に知らせたい。友達と一緒に会いに行きたい。先生が元気でいるうちに。

 

でも友達とは音信不通で行方も分からない。

現状も何もかも伝えることすら出来ない。

 

 

 

 

もうあの頃とは違う。

 

 

 

 

 

何もかも変わってしまう。

 

 

 

 

 

それが時の流れ。

 

 

 

 

止まることの無い時の流れ

 

 

 

何事にも終わりが来てしまう。

全てのものはいつか消えてしまう。

 

それは物に限らず記憶も同じで。

「ずっと忘れない」なんて、その時には言えても、

絶対にそうとは言いきれない。

 

 

 

先生は私のことを忘れてしまった。

 

私は先生のことを

いつまで忘れずにいられるのだろうか。

 

私は他の人達に

いつまで覚えていてもらえるのだろうか。