作文を書く夢を見て色々考えてしまった
ただ作文を書くだけの夢なら良かったのだが、
複雑な気持ちになった。
夢の中で私は中学生になっていた。
きっと、この夢を私に見せてきた奴は
「お前なんて、
可もなく不可もなく、どちらかと言うと不可寄りの、
なーーんの特徴もねえ
汚ねぇ空気みたいな存在だったよな!!」
って、笑ってるに違いない。簡単に想像つくよ。
見せてきた奴って、自分自身なんだけどね。
自分の中にある人格が怖い。
夢の具体的な内容
中学生の私は、国語の授業で作文を書いていた。
担当の先生が英語の先生だった。国語の先生は休みで、自習の日だったのかもしれない。
作文のテーマは
「生きる上で大切にしていること」
(こんな重いテーマの作文、実際は書いたことない)
私はテーマが発表されてすぐに、書きたい内容が思い浮かんでいたので、
鉛筆を握りしめて書こうとした。
…が、しかし。
他の人の作文用紙は真っ白だったのに対して、
私の作文用紙には、見知らぬ人の顔写真がたくさん印刷されていた。
余白もあるのだけど、全く作文を書けるような状態ではなかった。
先生が紙を変えてくれないので、皆が静かに集中して作文を書いている中、
私は消しゴムを使って、印刷されてる顔写真を必死に消そうとした。
…現実的に考えたら無理なことだけど、これは夢。
消しカスがどんどん湧き出てくる中で、印刷されてる顔写真はジワジワと薄くなっていった。
自分が必死に消しゴムを動かしている中、
周りはそんなの一切気にすることなく、作文を書き続けていた。中には書き終わって、先生から採点してもらっている生徒もいた。
なんで英語の先生が採点してるの?自習の時のこういうやつって、ちゃんと国語の先生が後日採点するんじゃないの?という疑問は持たなかった。夢の中だから。
鉛筆で塗りたくってから消すと、より一層消えやすくなる、という非現実的な裏ワザも発見した。
残り時間が5分か10分くらいしか無くなってきた中で、ようやく顔写真が綺麗に消えた。
よし!作文書いてやる!!
でも、夢の中は思い通りにいかない時もある。
さっきの裏ワザのせいで、鉛筆の芯が無くなっていた。
芯が無いなら削ればいいだろ、と思うが、鉛筆削りが見当たらない。
…仕方ない。このまま書くか。
鉛筆の芯がない状態は、地獄の書き心地。
ガサガサと木の部分が紙に擦れ続けるので、ストレスしかなかった。
そんな状態で文字は、奇跡的に最初だけハッキリと書けていた。
私は今を大切にして生きていきたいです。今というこの瞬間を大事にしたいです。
その後は掠れて、ちゃんと書けなくなってしまったけど、それでも時間が無いので書き続けた。
私の祖父も、祖母も、亡くなってしまいました。もう会うことも話すことも出来ません。何事も、生きている間にしか出来ないのです。死んだら終わりです。
あれ…?
ここまで作文を書いて、ふと思い出す。
祖父って、もう亡くなったんだっけ?
曖昧な記憶。
これは夢ならでは、でもあるが、
現実の自分もこの部分は曖昧だった。
ここで書いてる祖父母というのは、父方の祖父母。
今となっては、血が繋がってるだけでほぼ絶縁状態にある父と自分。
もはや、父という漢字を書くことも、見ることもしんどいレベル。
祖母は中学生の時に亡くなった。これは覚えてる。
祖父は?
…覚えてない。知らない。
連絡も取ったことがない仲だ。知るわけない。
きっともう会えないと思う。
自分が父親と仲直りするまではね。
でも、そんな日も、来ないだろうから。
書き進められない作文。
完全に手が止まった。
周りのほとんどの人は、作文の採点が終わってる。
英語の先生が、前から二列目の席に座ってた私に近づいてきた。
途中でも採点してくれるのか?
そう思っていると、
チャイムが鳴った
先生が私を目の前にしながらみんなに向かって言った。
「さあ、作文の優秀な人を呼ぶのでここに来てください、○○くん、△△さん、★★さん…」
そこに私の名前は無かった。
あるわけない。
だって私は
可もなく不可もなく、
どちらかと言うと不可寄りの、
なーーんの特徴もねえ汚ねぇ空気みたいな存在 だからね!!
自分で言ってて悲しい。
先生には、私の事見えてないみたい。
呼ばれた人達が、私を円の中心にして先生の元へ集まった。ふざけんなよと思った。
みんなにも、私の事見えてないみたい。
先生がそいつらに向かって何か話してる。
聞こえないふりをして、
作文を無理やり書き進める私。
気まずい…ふざけんな…気まずい………
そこで目が覚めた。
朝4時56分だった。
最悪の目覚め。
目覚めても思い出せない祖父のこと。
他の父方の親戚についても、思い出そうとすると頭が痛くなる。ノイズ混じりな映像になってしまう。
それだけ記憶が薄れてしまうほど、父と会ってないということか。
自分も、父について、そんなに大切に想っていないのだろう。想っていたら、もう少し他のこと覚えてるだろうし、そもそも絶縁状態にもならないし。
あと、もうひとつ思ったのが、作文の内容。
今を大切に生きるって、今の自分も出来てるのだろうか、と。
今を大切に生きるってなんだ?
今しか出来ないことをするということ?
今の自分は、他人から見れば、ほぼ遊んでばかりの状態。
仕事で精神がボロボロになったので、働いてない状態にある。
今しか出来ないことをやってる気はしない。
大切にできてる気がしない。
時間を無駄にしてるのではないか………
考えれば考えるほどに心が苦しくなっていく。
でもそれは結局、周りを気にしすぎているから苦しくなってるんだと思う。
周りは、自分のことなんて、そんなに見てないって分かってるはずなのに。
私は中学生の時と同じように、周りを気にし続けている。
すれ違うたびに避けられて、嫌がらせを受けて、
何かで表彰されたり、名前を呼ばれたりする度に、周りがクスクスしていた。
空気のように扱われていたけど、完全な空気ではなかった。
相手方にとって"面白いこと"をする時だけは、触れられたり物をぶつけられたりしたから。
でも過去ばかり考えてるわけじゃない。
普段はもう、そんなこと考える余地なんて無くなってるから。
いま、すごく立ち止まってる感じもするけど、全く進んで無いわけじゃないんだろうな…何もしてないという訳では無いから。
ずっとやりたかった事が始められた。少しずつだけど、誰かの力になれていると思う。
応援したい人を全力で応援出来る幸せ。いつでも貴方は、今が一番輝いてる。その瞬間を逃さずに応援できるなんて、幸せしかない。
ずっと「やりたい事なんていつでもできる」と、自分に思い込ませてた。
実際そうやって周りの大人に言われてた。
「君のやりたいことは、いつだってできる事だ」って。
それで他のルートをすすめられて、言われるがままにしてしまった。やりたい事は、段々遠ざかって、想いも冷めていった。
周りを気にして、
後回しにして、
見て見ぬふりをして、
周りが簡単に肯定してくれそうな やりたくない事ばかり選んで、
ずっと何してるんだろうって思ってたけど。
やりたい事は、すぐやった方が良かったかもしれない。
そうしたら、もう少し人生変わってたんだろうな。
大人の言うことなんて、半分くらいは無視しても良かった。
真面目だからそれを全部聞いて言う通りにしてた。
自分で自分の進路決めてえらいね、
やりたい事があってすごいね、
なんて言われてたけど、全部、周りを気にして嘘で固めてたようなものだった。適当な奴になりたかった。言う事聞かずに、本当にやりたい事をすぐにやってれば……。
…でもそうすると、いま自分が応援してる人にも、出会えてなかった可能性が高い。
そうしたら、私も生きてなかった可能性さえある。
やりたい事をやり始めるまでに遠回りしたおかげで、出会えた人達もたくさんいる。
決して楽しいとは言いきれない遠回りの道だったけど、いろんなものや人に助けられて、出会えたから、幸せだと思ってる。これもまたひとつの人生か。
……。
夢の話どこいった。
今朝見た夢の話なんてどうでも良くなってきた。
もう目覚めてから2時間ぐらい経ってるし。
これからも絶縁状態は続けるし、 やりたい事やって今まで遊べなかった分遊んでいきたいと思う。
好き勝手に生きる練習をしている所なので、
好き勝手にさせといてくれ。