闇堕ちした黒猫

暗かったり重かったり明るかったり

私の命を繋ぎ止めるもの

体調が悪い時や、体調が良くても夜が来た時、いつもより気分が沈みやすくなってしまう。

最近は特に、風邪が治らず長引いたり、変化や問題が周りで起こりすぎてたりして、それを全て放棄する手段として命も放棄するということを考えてしまった。

ひとつひとつ解決したらいいのかもしれないが、時間に追われ、焦りとイライラが生じて、自分で自分を追い詰めたりしてしまう。考えたくなくなって、離れたくなるけど離れられない。


私の心は重くて、ネガティブな闇の海へ沈みやすい。
闇の海は急に目の前に現れる。

地面だと思って踏み出した一歩が水中へ入り、心も体も沈んで行ってしまう。

そんな私を優しく包み、手を差し伸べ、
地上へ引き戻してくれる存在がいる。



私の命を現世に繋ぎ止めてくれるもの。



それは椎名林檎の存在。
私にとって女神。
物心着いた時から生活に寄り添い続けている、
美味しくて美しい空気のような存在。

本格的にファンになりCDなども聴くようになったのは中学生になってからだったが、それまでにも、椎名林檎東京事変の楽曲をCMや番組などで見聴きすると、なにか作業をしていても手を止めて聴きいるほどにはハマっていた。
音だけの記憶だと、まだ見える物の認識も上手くできない頃に「本能」を聴いた記憶があったり、車の中で「虚言症」を聴いて、頭の中で映像を勝手に作った記憶もあったりする。


しかし、私は音楽やイラストに関しては記憶力がいいのだが、名前と関連付けることが苦手で、
椎名林檎」という名前と楽曲が結びついたのは、中学3年生になってから。

それは椎名林檎の楽曲にハマり始めて15年経った時だった。

レンタルショップでCDジャケットから何となく惹かれて借りた、
椎名林檎の1stアルバム「無罪モラトリアム」。
(↑ジャケット見た時の衝撃を思い出して浸りすぎて、このアルバム名をド忘れして入力するのに時間かかりました。。)

家に帰り早速聞いた。
しかし当時の私は「アニメ好きキャラ」として過ごしていて、アニメ好きでなくてはいけないと思っていた為、
この時にしっかり聴いた曲は、
・歌舞伎町の女王
・丸の内サディスティック
モルヒネ
この3曲だけ。
MDに録音しておいた曲はこれに加えて
・幸福論(悦楽編)
・シドと白昼夢
だけだった。


(※ちなみにこの時MDをMDプレイヤーに入れて携帯して聴いてる人もいなかったし、私も自宅でMDを再生できるプレイヤーで聴いていただけだった。MDの時代は終わりかけていた。周りはiPodとか携帯(半分以上がスマホ)にダウンロードとか、それが既に主流ではあったが、私が持たされていたのはプリペイド式のガラケーという大幅に遅れた時代のものだったので、曲をダウンロードなんて出来るはず無かった。あとパソコンも無かった。時代に遅れてた。)

勉強もろくにしなかったので成績は悪く、絵を描くことにかなり熱心な時だったので、勉強をしたくなくて曲を聴きながら絵を描いていた。
いろんな曲(当時はほぼアニソン)をCDからMDへと倍速で録音してあった。MDは今も20枚ほどは持っているが、半分近くのものは倍速で200~300分くらい録音されていたはず。
それを聴きながら作業していた。
何十曲か聴いた頃、椎名林檎の曲が流れてきた。
やはり好きでそこの曲を何度もリピートして聴いた。
「レンタルした時にもっと聴いておけば良かった」と思い、その後あまり日が経たないうちに再度、「無罪モラトリアム」をレンタルしに行った。
無罪モラトリアムを全部フルで聴いた。
正しい街を初めて聴いた。
イントロで心が撃ち抜かれた。
アルバム曲をスキップすることなくしっかり聴いたのはその時が初めてだったが、この時、椎名林檎の曲を一生愛し続けるような気がした。


その後しばらくの間はレンタルショップでアルバムを全て借りて聴いていた。
勝訴ストリップ」を聴いた時、幼少期(ほぼ乳児期)に聴いた椎名林檎の曲の記憶と結びつき、
三文ゴシップ」を聴いた時は、おそらくラジオで聴いたことがあった「流行」や、みんなのうたで聴いた「二人ぼっち時間」を聞くことが出来て、運命的な再会を果たしたような気持ちになり感動した。
他にもCMで聴いていた「能動的三分間」、「空が鳴っている」などもCDで聴いて、聴き進めていくと「もはや全ての曲に聞き覚えがあるのでは?」「この曲もあの曲も好きだと思ってたけど、ほとんど椎名林檎だったとは…」と思った。
高校生になってからはアルバムもシングルもCDを購入し、デジタル配信された曲があれば即ダウンロードした。全部自分でアルバイトで稼いだお金で買った。自分のお金で買いたいと思ってかった。自分のものを捧げたかった。



学生時代に経験したアルバイトでうつ状態になり、毎晩子どものように泣いていた半年間。毎晩、寝室で椎名林檎の曲を聴いた。そうすると涙を流しながら安心して眠れた。

高校生の時、学校のクラスの自己紹介などで椎名林檎好きを公言していたが、なかなか周りには同じ椎名林檎ファンがいなかった。しかし、3年生になった時に異動してきた先生(後の恩師)が担当していた授業で、いつも通り自己紹介で椎名林檎が好きだと伝えたところ、その先生も椎名林檎が好きだと判明した。それがきっかけのひとつとなって、苦手な科目を教えてもらったり、それまで話せる人がいなかった悩みなどを打ち明けることもできて、卒業するまで幸せな学校生活を送ることが出来た。

新社会人としてのスタートに失敗し、精神的に追い詰められた。ご飯も食べれなくなり、体重は10キロ減った。会社を体調不良で突然辞めてしまい、夏から次の年の春にかけて、部屋にひきこもり続けた。その間、椎名林檎の「逆輸入 〜航空局〜」が発売されたので購入した。椎名林檎の曲を聴いている時は涙を流すこともあるが、気が楽になった。堕落した闇のような生活を優しく照らす光であり、雨ざらしにされてる中で差し出された傘のような存在だった。

最初は何となく好き、だった椎名林檎
だけどそれは歳を重ねる毎に深くなって、
今では空気のような、自然で、なくてはならない存在になっている。



私は自分自身の命のありがたみを考えられない。
自分なんて死んでもこの世界は損しないと思ったり、
自分が死んだら悲しいという奴なんて知るかよ、と思うこともある。
死にたいという気持ちが度々心の中に渦巻いては支配される。
でもこの前本当に行動に移してしまって、思ったことがあった。

「死んだら椎名林檎の曲も聴けなくなるし、今度発売される映像集も観れないし、ライブも行けなくなるのか。」

もっと考えるべき事はあるのだろうけど、一番に考えたのはそれだった。それは嫌だなと思った。
それくらい椎名林檎が自分にとって欠かせないものなのだと思った。



私の生きる楽しみのひとつ。
私の死にたさを遠ざけてくれる存在。
私の生きる理由。
私の命を繋ぎ止めるもの。

それが椎名林檎

音の記憶が残っているということは、
生まれた時から椎名林檎のファンなのだと思う。

どうせ死ぬなら、
一生椎名林檎のファンでいて、
椎名林檎の作品を全て味わってから死にたい。