闇堕ちした黒猫

暗かったり重かったり明るかったり

休めない

仕事を辞める前の3ヶ月間ぐらいは、何をしてたのかなんて思い出せないくらい、精神的に末期状態だった。部屋が暗かったことしか思い出せない。

 

たぶん身体は元気だった。

眠れてなかったこと以外は普通だった。

 

 

 

 

5年前に適応障害って診断された時は、

半年ぐらいはご飯まともに食べれてなくて、

飲むゼリーさえも半分以上残すほどヤバい状態だった。(この話、前にもどこかでしてる気がするけど、つらすぎた事を信じて欲しくて、いつも書いてしまう)

 

今回は、ご飯は食べれていた。むしろ食べすぎるくらいだった。2人前くらいは平気で食べてた。

 

それもストレスによる過食なのかもしれないけど、まあ、食べれず弱っていくよりは良いだろうと軽く考えて、大丈夫だと、自分に言い聞かせて毎朝仕事場へ向かっていた。

 

ある日、「体が疲れてるわけでもないのになんか動かない、起き上がれない」という朝があった。

 

あの時に仕事を辞めてれば良かったのかもしれないが、辞めるという選択肢が消えかかって「死」という選択肢のほうが濃く見えていた頃なので、辞めるなんてことは出来ず、その日は仕事を休んだ。

 

 

 

でも家に居続けることもつらかった。

どこか遠くへ消えたい、という思いが強くなっていて、動かずにはいられなかった。

 

しかしこのご時世、県外への旅には行きづらかった。

 

とりあえず、外へ出て散歩でもしてみようか、と普段考えていなかったことを思いついた。

 

 

 

 

昼から晩まで、トータルで6時間程度、10キロ散歩した。

 

行ったことのないカフェに行き、川沿いを歩いてみた。

 

適当に歩いて巡り会った銭湯で疲れを癒し、美味しい食事を頂き、夜の庭園を歩いた。

 

帰りは銀杏BOYZを聴きながら、セブンティーンアイスを2本味わって食べた。

年齢的にはたぶん大人の類だけど、子どもじゃないとは言いきれない。

自分がいま、どういう存在なのか…などと色々考えながら、ほんの僅かに苦しみを感じつつ、

「今日は休んで正解だったな」

と思いながらズル休みを最後まで楽しんだ。

 

 

 

 

 

考えてみれば、私は小学生の時にも、急に学校へ行けなくなった日が何日かあった。

風邪も引いてないのに、玄関から一歩外へ出るといういつもの事が出来なかった。

 

たぶん原因はひとつ。当時の担任の先生と、相性が悪かった。

 

性格そのものが合わないと思っていたし、

1番嫌だったのは、メディアで紹介されていた嘘だらけの情報を、

まるで本当のことのように言い広めていたことだった。

例えば「魚の骨がのどに刺さった時は、ご飯を丸呑みするといい」とか。骨が逆に取れるどころか、さらに深く刺さる可能性があるので危険なのに、それを聞いたクラスメイトが皆信じ込んでいて、笑っちゃいそうなほど気持ち悪く感じたのを覚えてる。

 

私は担任の先生に対して強く警戒心を持っていたのに、その先生は、いつも私の下の名前を省略して、ちゃん付けをして呼んできていた。

それで距離が縮まることもあるのだろうけど、私はそんなに純粋な子どもではなかった。

仲良くもないのに距離感が近い感じがして、とても不快だった。

 

先生のことがどれほど苦手だったかは置いといて、

そんな事が原因で学校をズル休みして、ひたすらNHKの子供番組と、笑っていいとも!を観ていた日が何日かあった。

 

 

 

ただ、原因というのは後付けでもある。

実際は、急になぜか「行きたくない」という感覚になり体が動かなかった、というのが正しい。

 

他の人でも、学校や仕事へ行けなくなる時があるらしい。周りにはいなかったけど、ネットなどでそういう話を時々見かける。

 

知らず知らずのうちに心や身体が疲れていて、限界を超えた時に出される危険信号みたいなものなんだろうか。

 

私が知らないだけで、結構多くの人がそんな経験をしてたりするのだろうか。

 

自分で自分のことを真面目だと言ってるみたいで少し恥ずかしいけど、

真面目に学校とか仕事とか休まず行く必要って無いと思う。

行きたくない時、しんどい時に休むのもひとつの勉強だと思う。

休みたい時、休むべき時に休んでいいんだ!と思えないと、壊れたあとでしか休めなくなってしまう。

 

その加減ができない私は馬鹿なのかもしれないが、何度やっても壊れたあとでしか休めない。

 

周りの「頑張れ」「えらいね」という言葉が知らず知らずのうちにプレッシャーになっていって、「いい子」でいなければならないと思い込むようになって、私はずっと苦しみ続けている。

 

周りのせいではない。私が勝手に休めばいいだけの事なのに、私はいつだって、周りの目を気にしている。嫌われることを恐れてる。嫌われない人なんていないというのも分かってるはずなのに、無意識に周りにあわせて、いい子でいようとしてる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気持ち悪いな。

 

 

 

 

自分の人生ぜんぜん生きれてないじゃん。

 

 

 

 

 

 

 

妄想の映像が私を苦しめる

悲しい夢でも見たのか。

夢にしては、記憶に残りすぎている。

今朝からずっと離れない映像がある。

その映像は完全に自分の脳内で作られたもの。

自分にしか見えない映像。

 

神経が、ずっと気持ち悪い。

 

その映像が私を悲しくさせる。

悲しい?

切なさもある。

胸が締め付けられる。

 

途中までしか再生されないその映像。

さっき、結末まで繋がった。

 

 

 

 

 

 

私の脳内で何の映像が見えてるのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「映像の内容」

 

この映像には、ある歌が流れてる。

歌は実在する歌。負の感情が絡んでいて、申し訳ないので、曲名は伏せる。

 

大量の記憶の断片が、虚無に落ちていく。

私はその落ちていく様を、真上から見ている感じ。

自分も一緒に落ちてるかも。

 

虚無はただの空間ではない。

エメラルド色の海のような、ちょっと浮力がありそうな場所。

 

断片と共に、ゆっくり落ちていく人間がひとり。

その人は足元が急に崩れ落ちたのかもしれない。驚いた表情をしながら、手をこちらにのばしていた。

 

私は断片を掻き分けながら、その人の手をとった。

その人を引き寄せた瞬間に、私たちはひとつの白い光になった。

 

断片よりも速く落ちていく。

断片も見えなくなって、泡だけが流れていく。

 

加速していく。尾を引きながら。

本当の虚無に落ちていく。

 

 

落ちた先は、真夏の昼間。

蝉の鳴き声が聞こえる。

自販機から落ちた缶ジュースの音で、一人の少年が意識を取り戻す。

 

白い光は、その少年の元に降りたらしい。

少年を急かす友達の声。

少年はなにがあったのか不思議に思いながら、

友達の元へ走っていった。

 

 

 

 

 

書いても分からない。

なんでこんなものを見て、

こんなに悲しくなるのか。

 

一緒に流れてくる歌を実際に今、聴きながらこれを書いている。

 

聴けば聴くほどに悲しい。

いい曲なんだけど。

いい曲だなあってしんみりしてるんじゃなくて、

普段あまり考えてない負の記憶とか、戻れない過去についてばかりが蘇ってくる。勝手に見え続けてる映像と共に。

 

リピートで聴けば聴くほど、映像の輪郭にノイズがかかってくる。

でも、映像の速度も上がっていく。

何度もリピートされていく。

 

記憶の断片と一緒に落ちていく人の姿が、ぼんやりとしていく。

 

記憶の断片がハッキリと見えてきているのか?

 

そもそも、この脳内の映像、何?

 

 

今日はずっと、この映像が離れなくて、

ずっと悲しいままで、気分が晴れないままだった。

 

寝たら治るのかな。

 

こんなに苦しみ続けてるのはしんどい。

 

何日も続いたら、私が私ではなくなりそうで。

 

 

明日には忘れていたい。

 

文通時代

このタイトルで何かピンとくる人、いるのかな。

 

自分には「カステラ」というバンドがどの程度人気があるのか分からない。

母から強制的に曲を聞かされていたバンドのひとつなので知ってる、という程度。

 

カステラ「文通時代」を聞く度に、

酒に酔いながら、陽気に歌を被せてくる母の姿を思い出す。

すごーく切ない気持ちになる。あの頃住んでた家はもうこの世のどこ探したって存在しないのだから。

 

……そんなことはどうでもいいけど。

宛がある手紙の下書きが5回目を超えてしまった。

そろそろ、便箋に書いて送りたいところだが、回数を重ねれば重ねるほど、内容が変化してしまう。

おかしいな。絵を描いてる時は下書き5回ぐらい重ねれば、自然と絵が修正出来てくるからなぞれるのに。

 

文章とか書くの好き。

学生の時は、講演会が毎週ある度に感想書かされてたけど、紙の表面で足りず裏面の白紙部分を埋め尽くす勢いで書いてたぐらいには好き。

 

 

手紙に関しても書くの好きなんだけど、

何回書いても、下書きを書きすぎるクセが直らない。清書で書きすぎないための下書きでもあるんだけど。

師匠に手紙書いた時、下書きが一ヶ月経っても締められなくて、

あきらめて清書してみたら便箋12、3枚分も書いてしまった。自分でも引いた。師匠も引いただろうけど、優しいからちゃんと受け取ってくれた。もう何書いたのか覚えてないから、いまは別に燃やされていても構わないと思ってる。

 

 

いま書いてる手紙は、下書き何度書いても2.5ページ(A4サイズ片面を1として考えた時)になるから、あの頃と比べれば、書きすぎるクセは改善されたのだと思う。

だとしても長い気がしちゃうけどね。

返事は全く要らない、一方的に送るタイプの手紙。

だからこそ、失礼にならないようにとか、不快にならないようにとか、色々と気をつけたいんだけど、

考えれば考えるほどに自分に厳しくなりすぎていって、ペンが止まってしまう。

素直に思いを書くことが照れ恥ずかく思っちゃって、思いをねじ曲げて書いてしまう。

受け取ってすぐに捨てられる、という可能性も考えながら書いてるんだけど、考えすぎ?でもこれぐらい考えておかないと、マジで捨てられてた時にショック大きくなりそうだから、保険を自分の心に作っとかないと。

 

もう、今月中には書き終えて届けたいところ。

完成させたい。出来なかったら、下書きぜんぶ燃やす。

ガセビアの泉みたいなのがあれば、もっとラクに下書き消滅できるんだけど。あの泉ってどうやって作るんだろう。スライムとか、水溶き片栗粉とか?

 

 

一方的に送るタイプの手紙も書き続けていきたいんだけど、

ふと、「文通」がしたいなと思った。

 

「文通相手募集」で検索してみたら、

文通村なるものが見つかった。

有料会員登録したら、全国の文人と文通が出来るようになるらしい。

プライバシーにも配慮されていて、匿名で、本当の住所を相手に明かす事無くやりとり可能とのこと。

 

SNSが主流のいまでも、文通で出会ってる人たちが存在するという事実、いいな。

文通に対する興味が広がった。

 

 

ひとつ思い出したことがある。

 

母には若い頃、文通相手が複数人いた、

という話を、親戚から聞いたことがあった。

どこで繋がったのか分からない文通相手と仲良くなって、周りへの相談無しに急にその人と同棲し始めたこともあったらしい。

 

いま私がしようとしてることって、

なんか、母の人生たどってる感じがして、ちょっと恥ずい気持ちになる。

ただ、私は文通相手と同棲し始めるようなことは絶対しないと思うけど。

 

親子って似るんだな、

似てないと思ってても似るんだな、

じゃああの血が繋がってるだけの父親ともどっか似てんのかな、

趣味嗜好と性格に関しては絶ッッッッッッッ対に似たくないな、

 

って思った。

 

ところで、Spotifyでカステラ聴けるの初めて知ったんだけど。

真っ暗な部屋で「文通相手」リピート再生してるとマジで昔のことばかり思い出して気が狂いそう。

 

でもカステラの曲は面白いの多いし、子どもの頃はめちゃくちゃ聴いてた、

というか、聴かされてた。嫌いではない。

 

 

でもこの「文通時代」を何度もリピートしてた記憶がある。

もしかして、文通にハマってる時にこれ聴きながら手紙書いてた?

 

この曲も、文通という文化が浸透してなかったらたぶん存在してないはず。

 

知らないけど。

 

知らないけど。って打ったタイミングで歌い出しの「君と僕は知らない同士」が被さってきてア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!ってなった。

 

 

 

どこまで書こうとしてんだ自分は。

終い終い。

 

3月

3月に入りましたね。

皆さんいかがお過ごしですか。

 

……こんな挨拶をしてみたくなっただけ。

 

推しに出会ってから一年経つ。

いろんな事があった。死にたくなる時もあった。

でも乗り越えられてこれたのは推しの存在のおかげだ。

これは確実。だって、何も考えられないぐらいに落ち込んでた時でも、推しの事だけは考えれたから。

推しを見れなくなるのは嫌だと思って、

私は生きることを選べた。

 

また今目の前の環境が大きく変わろうとしていて、

やらなきゃならないことに押しつぶされそうになっている。

 

でも大丈夫。

 

全ては推しを見るために。そして自分の幸せのために進んでいけるはず!

 

って思いながらも、やっぱりやらなきゃならないことは面倒だな。

 

 

まあでも、

今月に関してはワクワクしてる。

推しを推し始めてから365日経つし、他にもイベント盛りだくさんだからね。

 

楽しみと心配が重なり合って神経をバキバキと痛ませにきてるけど。

ここ乗り越えたら楽勝!

 

 

互いに頑張ろうぜ、ほどほどに。

 

感情の深みが増す時間帯

夜も更けに更けて、6時。
深夜と言うよりこの時間はもはや早朝。

先程まで、モンスターハンターワールドにて探索をしまくっていた。
テトルー新たに見つけ出せてよかった。探すのに2時間くらいかかって発狂しそうだった。







まあそんなことは今どうでもいい。




深夜になると、いつも感情に深みが増してくる。


朝起きた時点では、めちゃくちゃ冷静状態なのに、
深夜になればなるほど、切なさというか、
人恋しさが芽生えてくる。
恋愛する気はないのに。



たいした恋愛経験もないのに、
早くも恋愛なんてもうしたくないと思ってる。

好きになって、アプローチすんのもダルい。
自分からアプローチしたら相手からは愛されないっていう経験があるから。

かと言って、アプローチされるのはもっと嫌。
それも好きでもないやつにアプローチされたら困る。
私は断りきれない優しさという悪を持ってるから、
友達のままでね、なんてやんわりと言うと、
ずっとしつこく連絡してくるようなやつもいた。

友達のままでもいたくないというのが本音だった。
でもそれを伝えられないままに放置した結果、
もう連絡してくんなよって言ったのに連絡し続けてくるという、言葉理解力のない奴が未だに付きまとってしまっている。

……………。
長くなったけど、
ダルさよりも、
そういった理解のない奴との遭遇が嫌だし、
怖さがあるし。

だから恋愛したい気持ちは今ほぼゼロ。





でも、それなのに人恋しさだけはあるんだから、
どうすりゃいいんだかもう分からんのよね。

日中に目にした光景とか、
出会った人々のことが脳内に浮かんでくるんだけど、
優しく光り輝いてる場面は特に強くて、

「あの時、笑顔かわいかったな」
「あの空間、何時間でも居れたな」

みたいなことを思ったりする。


本当はこの感覚こそ、
恋というものなんじゃないかと考えてみたりもする。

でもそれが仮に恋心による感覚だとしても、
実らせたいとかまでは思わない。
もっと相手のこと知りたいとも思わない。

恋愛はたぶん、
恋をして想ってるだけの時が一番楽しい。

それが達成されたり行動を起こすことで進展したりすると、複雑なものや感情が絡んできて、不幸になりそうで怖い。

「いいや、きっとこれは運命だわ!」

本能的な部分でそうロマンチックに囁く自分だっているけれど、それは燃え上がっているからなんだと言い聞かせる。

私の中で一番持続した恋心は4年半。それ以上に続いたものなんてない。
それ以上に安定的に続く恋心があったなら、
それはたぶん運命かなんかって思ってみてもいいのかもしれないが、
まだまだ今のこの感覚は芽生えたばかりだ。

何一つ行動せずにひた隠しにし続けているが吉。






…………というようなことを、
深夜に考えては、ため息ついたりしてる。

運命だかは知らない。

でも、恋をしてるんじゃないかと言うところを別に無理に否定して抑えつける必要も無いのではないか?
素直に好きという感覚は自分の中で隠すにしても認めていいんじゃないのか?
そんな議論も自分の中で行われている。



え?恋なの?

これが?





恋という感覚すらも分からなくなってきたのか自分は。


いやいや早いだろ。


そもそも恋愛したくないって思うのも早いだろ。


もっとアバンチュールしてから思えよ。


……したくないけどね。
そんな一夜限りの関係なんて絶対いやだけどね!




もっとライトに考えられたら恋愛楽しくなるのかな。
ちょっと難しいな。

相手のことは、常に真剣に想いたいから。





よく分からないや。


恋してることは自分の中では認めてやろう。

外には言わずにね。



っていいながらココに書いてる時点で外っちゃ外か。

お相手の目に触れることはまず無いと思うけどね。





これだけ心の中で好きという感覚が渦巻いてるのに、
寝て起きたら落ち着いてんの不思議。

寝ても醒めてもキミのことしか考えてない…なんてことがないんだから。
自分の時間を保ちながらも、余裕ある時に思い出して恋しくなって……何なんだろうな。


元々は恋愛体質寄りなんだと思う。
恋焦がれやすかったし。
恋焦がれてると色々と前向きになれる。
恋叶ってからは嫌なこと続きで、時間を年単位でムダにしたなぁという記憶があるので、叶えたいとは思わないが、
まあ、好きであること、尊敬していること、に関しては認めて過ごしていくか。






7時になりそう。
もう深夜ではない。
朝だけど寝る。
キミを、想いながら……なんちゃって。
今日モンハンで狩った大型モンスターのこと考えながら寝よーっと。

心の余裕

いい事があった日は、
そのままいい気分で終わりたい。

終わりよければすべてよしって言葉もあるわけだし、
いい気分なままで一日を無事に終えられたら、
次の日も気持ちよく迎えられる気がする。

でも世の中ってそんなうまいこといかない。

そうさせてくれない日だってある。


自分自身が嫌な思いをした訳では無いけれど。
そういった場面を見てしまうと心が痛む。


昔に比べればマシというだけで、
まだまだ世の中って優しくないんだなと思って、
少し悲しくなってしまった。


こんな大変な世の中だからかもしれないが、
人に優しさや余裕を見せれる人は少ない。

傷つく人がいたり、争いが起きたりするなんて、見てられない。


全部がぜんぶそうというわけではないのも分かってる。

だから、思いがけず優しさに触れたりすると、とても心が救われる。

他人に優しくできたり、余裕を見せれる人って、素敵だと思う。

自分もそうでありたいと思いながら、
特に何も出来ずに今日が終わっていく。


何も出来ず?

何かはしてるはず。

そう思いたい。

思ってないとやってられない。

私が濃い影になっていく分、貴方は光り輝いていって

自信なさげにしてると、余計な事をズケズケ言われる。

そしてまた自信をなくして、またズケズケと言われる。



常々思う。
私は本当は、社会不適合者かもしれないな、と。


最初、知り合った当初は仲の良かった人達が、
しばらくしたら、平気で私を虐めてくるようになる。
そんなことを何度も経験してきた。幼少期から、社会人になってからもずっと、何度も。


だから人のことを信じられない。

ずっと警戒心を持ったまま接するようにしている。

慣れ親しんだ感じでは接しないようにしている。


ちょっと仲良くなった人も、
「どうせこの人も私を裏切るんだ」
そう思って、一切期待せずに接してる。


だから友達の数としてはだいぶ少ない方だと思う。
数の問題ではないけれど。



「どうせ裏切られるんだ」
「どうせ私の事なんて忘れ去ってしまうんだ」
と思って人と接し続けていることが、
ほんとうは悲しい。


でも、経験の積み重ねが私をそうさせてしまった。


ほんとうは助けて欲しいくせに、
いざ助けの手を差し伸べられたら払い除けてしまうし、
心配されてもウザったいと思ってしまうし、
恋愛感情とか、想いとかを向けられたって拒絶してしまう。

私なんかに構うなよ、と、突き放してしまう。


なんだかとても悲しい。

頑張りを認めて貰えなかった日々も考えたら余計に悲しい。結局は自己評価で決める部分なんだって分かっていても、周りから何も言われないならまだしも、応援が無いだけでなく、否定されたりもしてるから、余計に苦しい。


親からの愛情すら不信に思っている。
様々な助けの手を疑って拒絶している。
ほんとうは純粋なものかもしれないのに。

負の感情などばかりを受け取ってしまう。



私の影が濃くなればなるほど、誰かが光り輝いてくれるならそれでもういいや、自分なんて光らなくていいや、って諦めかけてる。


どうせ否定されちゃうなら何もしなくても変わらないだろう、と。











何が書きたかったんだっけ。


結局、仕事辞めてもしばらく変わらない。
自分が幸せになることが許せないっていう感覚は。